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・玉門関(小万盤城)
敦煌からゴビ砂漠を北東におよそ100km、疏勒河のほとりに漢代に造られたシルクロードの北路と南路が交差する重要な関所。昔は玉門関を越えることを出塞と言い、長城の外を外塞と言った。かって和田(ホータン)から産出される玉がここを経由して中原に運ばれたことから「玉門関」と名付けられた。現在の遺跡は漢の万里の長城の遺跡で、東西24m、南北26.4mの長さで、高さ9.7m、城壁の上部の厚さ3.7m、下部の厚さ4〜4.9mの四角い版築の土塁で、南北に門が一つずつ設けられている。この付近からは木簡、竹簡が大量に出土している。この城壁に来るには、果てしなき砂漠の道なき道を1時間半以上車を走らせる事になるが、舗装されていないので車がかなり揺れる。
・河合城(大方磐城)
玉門関の東20kmにあり、漢代の造営で魏晋時代まで中国の西方の防衛線の兵糧備蓄倉庫であった。玉門関、陽関一帯を守り、西へ進む兵または東へ帰る兵はここから食料、衣服の供給を受けた。東西132m、南北32mの高台に、倉庫は3つ築かれている。外壁はかなり保存状態がよい。紅柳と砂石で築き、版築と言われる泥を塗り固めた技法で積み上げて造られている。まだ、一般観光客には未開放になっている。ここの近くの狼煙台跡には狼煙のために燃やす葦の束が炭化しているものが保存されているが、非常に珍しいもので往時を偲ばせるものである。
・陽関
敦煌の南西へ76kmにあり、砂漠のなかの青海チベット公路まで約2時間のところにあるシルクロード南路の関所。玉門関の陽(南)に位置するため「陽関」と名付けられた。当時の位置は洪水のために分からなくなっている。現在は砂丘の上に壁の基底の痕跡が残っているだけであり、その他には最近作った「廊下」の建造物があって、そこには昔の有名な詩人の詩、またはシルクロードの研究、開発等に尽力した人々の石碑が飾ってある。
・敦煌博物館
シルクロードの要衝として多くの人々が行き交った敦煌には多くの文物が残されている。これらの貴重な出土物を展示するために1979年に建立された。展示品は3つの分野に分類されて展示されている。
第一部分:莫高窟(第17窟)より1900年に発見された文書、漢、チベットの教典、大量の帳冊、契約書等の材料がある。その中、多くの物は解放前に国外に流散し、ここに展示されているのはその中の一部である。展示品の手跡は明晰で、書体にも勢いがあり、中国古代書法の技術的珍品であり、漢族、少数民族文化研究のための貴重な資料である。
第二部分:漢、三国、晋、随、唐等の時代の墓葬出土器物がある。三危山から出土した麒麟は、一匹のびた走る麒麟を彫刻したもので、まるで生きている如く、その勢いは神のようである。
第三部分:敦煌の”両関遺跡”、漢代長城の狼煙台から出土した部分文物がある。中でも漢簡、精美なシルク製品等、これらの文物は両漢時代の敦煌の政治、経済、軍事状況を反影している。

 

 

 

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